常に作品を生み出せる人で居たい。

そう思い始めてたのはいつからだろう?

15年前にはすでに言っていた。

けれどもその頃は何一つ作れてなかった。

あの頃も、他人に比べて自分なら才能あるはずなのになんで正当に評価されないのかと、ずっと周囲に説得しながら相手にされなかった記憶がある。

誰かの都合に合う自分を生きてた記憶しかない。創造的な生活とはかけ離れた状態。

それがつい2年前まで続いてた。

一時期は立て続けに作曲したり、日々ブログ投稿を重ねたり、調子の良いときは進むことがある。

けれども本心から納得した作品が残せたかというと、そうでもない。

幼少期に友達がいない時期が長すぎたおかげで、他人からの頼まれごとを断りきれず許容範囲以上に引き受けてしまう気質がある。

声がかかること自体が奇跡みたいなものだったから。無意識にそれだけを自己評価の基準にしていたようだ。

自分を押し殺してでも、孤独が怖かったんだろう。

いつの間にか本来の自分とはかけ離れた建前だけが求められていって、何も成果を残せないまま関係は破綻していった。

ここ10年そんなくだらない上下関係に付き合わされて、他人都合の情熱なんてあったもんじゃない。注ぎ込んだ時間を返してほしい。

その後も自称先輩共やらの前時代的批判や罵倒をいちいち整理するだけで、エネルギーを使い果たしてしまったのが昨年までの自分。

いろいろ試してみたが、失った情熱は戻ってこなかった。何も売るものが無くなってしまった。

まるで歴史は繰り返すかのように。

いや、繰り返すべきじゃない。

他人から搾取して当然のような、何も生み出さない人間なんて必要ないんだよ。

先に入った者が偉いのか?歳食ってただけで知識あるのか?

間違っている。

 

今はもう自らあの場から去ったことで敵は居なくなったが、あの不当評価の記憶が蘇ってくることがある。

そんな葬り去りたい記憶の底から、本来自分が表現したかった想いを発掘する作業をずっと進めている。

心の中では、とにかく色鮮やかで光り輝くものが見えることがあって、いつも書き留める前に一瞬で消えてしまう。

そんな砂のような断片をかき集めて、点と線で結んで視覚的に見える形で残せないかと考えている。

個展を開いてみたかった。

自作の音楽を鳴らしながら立体造形作品を展示して、双方向に出会える空間を作ってみたかった。

今なら過去の延長線上でできることがいっぱいある。

これから小さな作品を少しずつ増やして、片っ端から表現したい。

まずは作家と名乗れるまでは、この場で制作過程を載せていくとするか。

数年前に描いたレイアウトスケッチ。

 

しまひろふみ

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