自分自身に優しくなれてる?

少し前に、あるきっかけで親しくなった女の子が居た。

たまたま月一で会う機会があって、一時は彼女から俺に気があるんじゃないかと思うこともあった。

結局付き合うには至らなかったが、昨年ずっと不調だった自分のことを案じてくれて、時には喧嘩をしたこともあったが恐怖心に迷った時には厳しく手を差し伸べてくれたりもした。

 

そんな出来事から、ふと思い出した。

俺っていつも、大事な人に優しくできていたかなと。

そして自分に対しては特に、優しくできていたか?

 

いや、

 

ない。

優しくなんかない。

 

これまで親しかった女の子には皆、結構な数の要求を持ちかけてたはずだ。

優しくはなかったな。

あまり長続きしたこともないし、身も心も深い関係になれるなんて奇跡みたいな遠いゴールだった。

また、相手の願いを聞いて寄り添うことに自分の価値を見いだしていた時期もある。

そんな自分は相手の好きな話題や趣味を本当は好きでもないのに、理解して興味を示す振りをして装うこともあった。

それって自分が抜け殻になっても、相手から見返りを求めていた証拠だろうか。

完全なる他人軸思考。

それだからいつもうまくいかなかった。先に続かなかった。

後で叶わないと分かったら、いつも1人でやり場のない後悔に迫られてた。

 

違うなそれって。

逆に相手のためにはならない。

 

誰かを愛せないと感じるなら、その前に、まずは自分自身を愛してみたらどうか。

自信がないことはおそらく相手にも見破られてたし、そんな弱い自分をごまかそうとする態度を嫌ってたんだろう。

今なら思う。

相手の前で大きく強がってるよりも、弱くて不完全なままの自分を受け入れて認めてみたらいいんじゃない?

 

今ずっと自己の内面を見つめ直していて、強制的な他人軸の関係を捨てて本来あるべき魂の姿を蘇らせようとしている。

ある人物は具体的に感謝を示す対象を挙げて言ってのけたが、あれは自分にとって少し違う。

そうじゃない。

感謝したくないなら、そうあるべきと思い込んでる自分自身を認めてみる。

自分で答えを出す。NOと。

過去にはそれで離れていく相手も居た。YESと言わせたがる女も確かに居た。

いやな、自分に嘘をつかせるのか?それで幸せになるんか?

無いわ。

いつか対立軸から成り上がる可能性だってある。

その裏返しに、本当なら感謝したいができない事情があるなら、その反発を受け入れられる自己のままでよい。

 

世の中にはいろんな人が居て、はっきり言って選びたい放題ではあるが、誰でも選べない理由がある。

やっぱり自分が最も大事にしている内面を大事にしてくれる相手に限るから。

 

そして、好きでいてくれる相手以上に、自分が自己を好きでいられてる?

逆に自分から優しくしたくなるのは、そんな風に自分自身が好きと言える人なんだろうな。

 

じゃあ、まずは自分から。

 

旅は続く。

 

 

しまひろふみ

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