表現したい世界はある?

今から10年前の話。

その前年は度重なる転職や人間関係の変化に追いつけず、日々鬱状態のまま抜け出すための細い糸を探していた。
本来なら人並みに音楽作って演奏できてたはずなのにと、何一つ成果を出せずに他人に答えてばかりの状態で後悔の連続だった。
まるで自分の生き方すら主導権を持つことも許されない状況に追い込まれていて、実際に100人知り合って100人離れていくような極限状態だった。

その頃ふと大阪湾のある海岸に行った時に、西向きの海面が夕日に照らされて輝く様を見たことがあった。

いつも怒りを抱えていたような自分が、ほんの少し穏やかになれた時。ふとこんなことを思いついたのだった。

あの波がキラキラ揺れてる情景を、音色で表現できないだろうか?

そこは埋め立てられた街に囲まれた淀んだ湾岸だったが、生まれ育った土地そのままの空気が宿っていた。
若い頃は全く見向きもしない時期も長かったが、グローバリズムに対するローカリズムに基づく音楽作品を提示できないだろうかと方向転換してみたことで、地元に目を向けるようになっていった。
まるで取り巻く人々の積み重ねた記憶で形づくられるような景色に惹かれてたんだった。

表現したいのはこういう滲んだ街に似合う音色なんだよな。
どこまで必要とされるか分からないし、うまくいく方法も知ってるとは言えないけど、やりたいようにやってもいいんじゃないか。

その後音楽機材を駆使して1曲完成させて、周囲の友人達からの評価を得るようになっていった。
いつのまにか見失っていた情熱も取り戻し、ちゃんと音楽を作れる人間として認知されたことで違和感は解消していったように思う。

 

最近そんな時期の自分を思い出すことがある。

何度と音楽をやめた人間だが、その数だけここに戻ってきたんだった。

あの頃と異なるのは、自分らしさを大切に心と体のつながりを知りながら生きている仲間が増えたこと。
そんな人達と身近で会える時間も機会も増えて、素直に良い部分を取り入れて生かすこともできている。

何度もブレまくって見失って自信を無くしてきたけど、今はその頃と違って離れても見ていてくれている人達がたくさん現れた。
心配してくれたり、次の作品表現を待ち望んでくれている人もたくさんいる。

そんな人達に答えようとするのではなく、あえて自分のために作って表現してみるのが最もふさわしい答えなのかな。
どこかのジャンルに属するのではなく、内面で鳴らしたい音色を鳴らしてみる。
別に歪んだって叫んだって許されるから。指も腕も声も思うように動かなくたって、動ける範囲で出せることがある。

 

来週4月29日は久しぶりに、ある発表会で演奏することになった。

5分だけ時間をくれたので、勢いに任せて音色を重ねて鳴らそうとテスト演奏のつもりでやってみる。
自分は何ができるかすぐには思いつかなかったけど、昨年末に買ったものの一度も公表していない楽器を手に取ってみることにした。
自分だけのスジを堂々と歩いて、自信なんて後から引っ張ってくればいい。

素直に受け入れてくれる人に向けて、全力で投げたら鏡の向こうにいる自分に還ってくるから。大丈夫。

考えるより行動が大事だから。まずは打席に立つ。
これから楽器を調整して、メンタル上げながら実演準備に集中しよう。

堺市 海とのふれあい広場にて撮影。2008年7月。

 

しまひろふみ

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