思い出す夜明け前の輝く空

11年前に見た朝焼け。

 

今ふと思い出して書きたくなったことがある。

当時は大阪で、上下関係の名のもとに加入させられた団体があったり、ネットワークビジネスに巻き込まれて自己主張を抑え込まれていた時期だった。

自分軸で生きることが許さない生活に追い込まれ、仕事も出費もコントロールできず困難な状況に陥っていた。

この前日に、ある集まりで同団体の身勝手な人物に罵倒されて、人格否定に強制謝罪させられ怒り狂った出来事があった。

その話に関連する知人(女性)には、「あいつがこんなこと言ってきたのはあんたが身勝手な行動するから責任転嫁されたんだろ!」と怒鳴りつけて、相手は大泣きしていた。(その後関係疎遠になるが関係修復まで時間がかかったものの、現在もつながっている。)

その後しばらく罵倒した当事者に会いたくないために団体からは引きこもることになったり、全てが他人事情で動かされて自分の想いなんて全く主張できないと思い込んで腐りきっていた。

あの日知人との電話は深夜から早朝まで及び、切って寝ようとした頃に空はもう明るくなっていた。

すでに身も心も消耗しきっていた。

 

その時間にふと、部屋から撮った1枚がこれ。

住之江から見て東、生駒山・信貴山のある方角である。

それまで夜明け前の空なんて見た記憶がほとんどなかった。

本来ならもっと余裕のある生活ができていたはずなのに、今思い出しても後悔しかない。

100人知り合って100人離れていくような、自分らしさとやらを完全に見失っていた時期である。

前年からこの年にかけて転職と退職を繰り返したり、鬱病勃発したり勧誘セミナーの餌食になったり、出費過多の果てに好きで集めていた音楽機材も次々と換金せざるを得なくなっていた。

本当は音楽で自己表現を叶えたいのに、協力者が現れず周りは無理だの後回しだの、無理解のクズばかりで反論しようにも相手にされずどうしようもなくなっていた時期だった。

ビジネスを辞めれば済んだが、ある程度注ぎ込んでしまいバンドをやってる上位連中の挑発にも乗ってしまい、プライドを守るために引くにも引けなくなっていた。

 

ただ唯一の救いだったのが、美しいものは美しいと感じられる心は見失っていなかったこと。

空を見て惹かれる想いがあったから、思わず撮影したくなったんだろう。

あの光り輝く東の空に、まるで穏やかに満たされて過ごす未来の理想像を重ねていたみたいだ。

この日の午後にはその後交際することになる相手を急に誘って、伊勢神宮まで行って帰ったのを思い出した。

内宮本殿では「笑顔をください。」と、一言呟いた覚えがある。

 

その後自分を取り戻して風が吹くまでに、1年近くを要した。

多額の借金を背負って失ったものは多かったが、鬱退職後に転職したばかりの仕事で収入は上がって生き延びることはできた。

少し後には今につながる音楽関係の友人に出会って、少しずつ制作に取り組めるようになった。

 

もしもあの明け方の空を美しいと思えなくなっていたら、生きる価値はないと断言してもっと堕落していたかもしれない。

今もたまに見直す光景の写真である。

もしも描けるのなら描いてみたい空の色のひとつなのかもしれない。

 

しまひろふみ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です