作曲欲求のきっかけを蘇らせる。

音楽を作るきっかけは何だったのか、長い間思い出せなかった。

幼少時にピアノを教わっていた頃に、音符を適当に並べて作曲みたいなことをしたことがあって、正確には5歳か6歳に始めたことになる。
しかし実質的には運指練習のために演奏していたようなもので、作曲欲求が芽生えたわけではなかった。

最初に音楽を作曲してみたいと思うようになったのは、確か10代の始め頃だった。

あの頃関心があったのは当時流行していた大衆的なヒット曲ではなく、学校で朝に流れていた管弦楽曲だったり、テレビゲームの中で流れていたBGMだった記憶がある。

曲を作れる人になればかっこいいと思い込んでいたのは確かにあって、音色だけでそこにある空気の流れを変えられて、現実にない世界観も伝えられることに可能性を感じていたみたいだ。

その後行動に移すまではとてつもなく長い時間がかかった。
協力者も一切なくたった1人で録音機材を集めてコンピューターでの作曲を覚えていたが、10代後半になると聞かせる相手もなく作る目的もすっかり見失ってた。

音楽を辞めた後に再開を繰り返していた20代中盤からは、ある発見によって住んでいた土地の地域音楽を作りたい目標を挙げ始めた。
今から思えば表向きのストーリー作りに固執していただけで、どれだけ作ろうとも品質は十分と言えるものではなく、過去の積み重ねがなさすぎて実績の伴うものでなかった。
もはや自分自身が満たされる作品を生み出すのは困難だった。

いつのまにか作曲するより自己承認欲求を満たすことが目的に変わっていて、真の目的は過去のうまくいかなかった記憶の清算だったのかもしれない。

そんな心の闇の一部を、最近あえて見るようにして自覚できるようになってきた。

今まで見ないようにしていた過去の欠点も、人生の危機感を覆せなかった出来事も、今になって向き合う時間が増えている。

内心では暴れたい直前まで元凶を見つめていることも多い。

長年積み重ねていたはずの音楽制作スタイルが自分自身好きでなくなり、いつのまにか作品の作り方がわからなくなり、思うような演奏もできなくなった。
過去の延長線上でのノウハウや理論武装でギリギリつなぎ止めていたが、抱えていた過積載の重荷も無関心な他人が少し触るだけで大きく崩れ始め、限界がきて完全終了させたのが昨年までの自分だ。

一旦焼け野原になった自分の創作活動。
うまくいってる他人と何が違うんだろう?自分の方が才能あるのに、出せば凄い世界を引き出せるのに。
けれども方法がわからないから、才能ないのと同じ。努力してないのと同じ。

根本にある深層心理を見つめ直して再構築する時間が必要だった。

2018年の前半は不調続きであまり表沙汰にしていないが、自分を見つめなおすためにいろんな人と会っていた。
そして少しずつ開く鍵を見つけはじめている。

作品制作を収入にしたい思いと、本来の自己表現で作りたい欲望と、どちらを選べばよいか答えをずっと探していた。
そろそろ見つかりつつある。

長かったが、ようやく。

次に示すこと。

音楽に関わるきっかけになった14歳までの自分自身が残したがっていた作品を、今の感覚をもって生み出せないだろうか?

当時と異なって今は敵はいない。
いるかもしれないが眼中にない。

何もしていないような自分の周りに次々と協力者がたくさん現れていて、できると信じてくれている友人知人がたくさんいる。

楽器に触れられていない時間は長いが、すでに行動は続けているから成果は還ってくると信じている。

だからできる。

答えるも答えないも、選べるのは自分自身。

実現した後の未来を早いうちに見ておこう。

 

しまひろふみ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です