いつか五線紙の手帳を持ち歩いていたことがあった。
どこでもメロディーが浮かべば楽譜を書けるように。職場にも、遊ぶ場にも、思いついたらいつでも書き足していた。
常に曲が浮かんでくるわけではなく、むしろ多作とは言えないまま発想枯渇したような毎日だったが、だからこそ少しでも作品の種があれば小さなことでも書き記していた。
けれども当時書いていた音符の数々は、大半がこれまで録音する機会のないままお蔵入りになっていた。
使いみちのない過去の曲なんて今の目指す作風にも合わないだろうと、音符を読み直すこともなく忘れたままだった。
近頃、Finale(フィナーレ)と言う楽譜作成ソフトの操作を覚えている。
プロ用楽譜製本にも使える高機能のソフトである。
Finaleを動かすのにソフト自体の容量がかなり大きくなるため、コンピューターには保存容量と動作性能が必要となる。
今使っているノートパソコンでは起動に1分ほどかかってしまっていた。
そこでSSDを増設し高速化することにした。
一時はノートからアンインストールして自宅のiMacだけで使おうとも考えていたが、2台までのライセンスがあり外出先で思いついた時も記録したいと思えてきた。
そして256GBのSSDに交換し、HDDを取り外したおかげで動作音がしなくなった。電池の持ち時間も伸びたみたい。
これまで書いても録ってもボツになった曲は多く、自分なりに妥協できないまま未完成で放置している楽曲はかなり増えている。
過去に書いた曲のメモなんてどうやって今頃使えるんだろうかと、疑問に思っていたのだが。
今すぐ新曲を作れなくても、過去の大量にある楽譜メモを音色で聴けるようにするだけでも、データ入力する価値はあるのではないか。
本来味わいたい創作感とは異なるが、10年前に書いていた曲でも今まで未公開なら新曲扱いになる。
今の作風と違うとか他人の指摘も気にしてる場合じゃない。
過去の記録を見直すことで、自己承認できる気がするから。
2日かけて30小節分を入力してみた。
使い勝手はまだ慣れないが、今は急がずに入力作業に徹する。
その後途中で新しい曲のアイディアが浮かんできたら、別のファイルを作成して入力するつもりだ。
それは楽譜に限らず、すぐに演奏したまま録っても構わない。
できないまま終わったことが積み重なっていたけど、できる自分を認めて未完了を完了することから初めるべきなんだろう。
目の前の目標は、今月中に1曲つくる。
1曲が30分の長編になるかもしれないが、あるいは15秒のCM尺で終わるかもしれない。
それでも作って残して届けるまでに意味がある。
いや、意味はないのかもな。
それでも作りたい欲が芽生えてくる理由は、表現を知って受け止めてほしがっている自分の気持ちを承認することなのかもしれない。
作りたい曲を作る。
聴いてみたくなる音楽を生み出す。
その先にきっと答えは現れてくるだろう。
しまひろふみ