日常から非日常へ、遠くに行きたい願望が自己表現の根底にある。

今までの自分が何をやりたかったのかを、根底から見つめ直しているこの数ヶ月。
2018年は秋の個展までの過程を通して、以前の自分が好んでいた風景や物事、楽曲の作風にも気づくことができた。
そして次に何をやれば自分らしさを取り戻せるのか、選択肢をつかむところまではできた。

しかし次に、行動へ移すまでの段階で、さらに過去に根深く刺さっていた暗い感情に向き合うことになった。
重苦しくて全く進むことができず、過去の記憶を1つ1つ向き合って許して手放す作業を、ひたすら繰り返していた。
それが新しい仕事のかたわら疲れが取れないまま、次の創作活動や演奏に打ち込むには負担も大きく感じてたのは事実あるかもしれない。

休む時は休む。穏やかな時間を過ごす。
どうすれば心地の良い場所で自分を出しきることができるかを、じっくり試しては探ってた。
直感では一時的に動くきっかけになっても、それに頼っては長続きしないから。

見えてきた自分の姿がある。

いつも遠くへ続く線路を眺めていたり、川や海の先にある彼方の土地を思い浮かべて過ごしてた。

あの場所にはどんな緑の明るい土地が広がっているのか?あの港町にはどれくらい活気があって、どんな夜と朝を迎えているのか?

きっとあの頃は、今そこにある空間には自分の生きる居場所なんてないと思い込んでいて、ここではずっと居てもどうしようもないと不満を抱えたまま過ごしてた。
今いる場所から離れて外へ求めれば未来は開けるといった、無意識の行動パターンがいつの間にか悪い習慣になり、今を生きている感覚が薄れていったのも現実にある。

まずやるべきなのは、今生きているこの場所を充実させて、自らの手で自らを満たす生き方を探るべきだった。
それが長い間気づくことができなくて、20代までは他人からの声に影響を受けての行動ばかり選んでる状態だった。
最近また忘れかけてたことが多かった。

生き方を変えるまでは大きく時間がかかったけれども、今は今で東京に住んで少しずつ充実感を取り戻す生活を続けているし、やっと過去の失敗は無駄ではなかったことを感じはじめている。
後悔を取り返そうという気持ちは、わざわざ捨てなくてもいい。
むしろ無かったことにはしてはいけなくて、その出来事から過去の自分自身を赦すことが大事なんじゃないかなって。

今こうして、あの頃思い描いていた「向こう側」へたどり着けてるんだから。
もっと自信を持っていい。

そして次のステージでは、今の自分が描いてる遠くへ行きたい願望を、誰かにとって可能性を生み出すような創作や仕事に向ければいい。
そう考えると楽になってきた。

しまひろふみ

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