ネオンサインがクリスタルグラスに反射して、滲んだ色彩が鮮やかな光景を音楽で描く。

なんだか腑に落ちる感覚がやってきた。
本当にやってみたかったのは、いくつもの音楽ジャンルを飛び越えるような、多様な多彩性を兼ねたポップミュージックだった。

あの音楽が流れる時代の影響を匂わせつつ、夕陽と水色のにじみ出る光景を再現したかったんだった。
闇の色との対比がどんよりした、アナログフィルムの色褪せた質感が似合う音色を散りばめたい。

自作曲を公開した当初のプロフィールには、DJ志向のクラブミュージックを作っていて「和風クロスオーバー・ディスコ」と自分のジャンルを定義していた。
おそらく本質には、懐かしめのシティポップ・ディスコ・AORのコピーをやりたかったのではないかと。
ただし演奏に自信が持てず方法がわからなかった。

これまで自分のやりたい音楽方向性をなかなか言葉に表せなくて、ジャンル区分も困難だった。
実は幼少時にTVや街角で耳にしたあの頃の質感が伝わってくるような作品にしたいと、長年うすうすと感じてたんだった。
今でこそ80年代90年代のスタイルをリバイバルさせた現代のアーティストやバンドも度々登場しているが、目指すのはそこと少し違うんだよなぁ。

一時は前衛的な作風にも憧れてそんな楽曲を作ろうともしていたが、求められることも認められることもなく自然消滅していた。
どんな音楽をやってみたいのかそれすら見失ったまま進めなかった。
長い間他人の要望ばかり答えようとしてた年月を送って脱却した次は、自分の好きな音楽を自分のためだけにやると決めた。

後悔ってなかなか抜きにできないもので、自分の得意分野を生かせないまま消えていくのかと内面で戦い続けてた。
あきらめずに自己表現を叶える方法を探り続けるしかなかった。
やめてたらどこかで死んでた。やめなくてよかったと最近になって実感してる。

大和川 大阪市と堺市の市境。撮影:しまひろふみ

こういうことも過去に書いている。過去のツイッターより。

もし自分が『最後』の楽曲アルバムをつくるとしたら… やりきれないまま引退や死亡したら、本当に冗談では済まされない。けど先延ばしていると完成しないまま数十年もあり得る。確かに配信レベルまで10年かかったからね。最後、それが次の主題。— しまひろふみ Hiromick (@hiromick1623) 2013年7月7日


しまひろふみツイッターより https://twitter.com/hiromick1623

自称・最後のソロアルバムを長年作ろうとしているが実現できていない。生まれ育った大阪湾岸に似合う音色を自分なりに再解釈したら、AOR+JAZZ FUNKに行き着くみたい。幼い頃はクラブミュージックなんて無く、あと15年生まれが早かったらと想定。分類するならナニワソウルと呼ばれたい。— しまひろふみ Hiromick (@hiromick1623) 2015年6月1日


しまひろふみツイッターより https://twitter.com/hiromick1623

この2013年夏時点で『最後のアルバム』のコンセプトはすでにできあがってて、自分で作詞作曲と演奏を手がけて、聴き通せば話さなくても思想や世界観が伝わる作品にするつもりだった。
これを手がけようとした矢先に、頭のおかしい奴からバンド加入に誘われ、半年棒に振ってしまった。

続いての2015年時点でも、やりたかった表現は変わってない。
あの頃すでにクリエイター意欲は地に落ち、思うように曲を量産できなくなり、ラッパー楽曲提供を2〜3件したくらいだった。その間には渾身の1曲のつもりで書いても無断トラック差し替えで消された事件もあった。
仕事を転々として収入減が負担すぎて、落ち着ける音楽生活に戻りたい一心だった。

ちなみに旧アメブロは、2014年から最後のアルバム制作記録のつもりで書き始めたブログだった。引退宣言とともに終了。
https://ameblo.jp/koeyk

大阪から離れてそろそろ2年。
しかし表現したかった作風は変わってない。
今年こそ、楽曲作品を残してライブ演奏も実行して、
あふれ返っていた問題の数々を完了させる。

これは『最後』にしないための楽曲アルバムだ。
東京在住の間に必ず完成させる。自分の生きた証を残すために。

しまひろふみ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です