音楽をやる意味が分からない。

※2017年5月20日のメモ
自己分析のつもりで当時書き留めていた文章を見つけたので、
思い出す意図で掲載します。

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再び1から始めるにあたって。

やる気がない。やる気がなかった。なぜ?
人から頼まれたことばかり引き受けていたから。

トラック制作、ボーカル録音、ミックス作業、楽譜作成聞き起こし、これらを仕事にしようとしていた。それは人から仕事になると言われてたが、金にならないのが結果だった。

身近な連中は誰も俺の表現なんて興味を示さない。自分の興味あるジャンルしか聴かないし、知らないと言って最初から聞く耳を持たない。
不特定多数に届く音楽を作るために身近にも相談したかったのだが、音楽やってると言えない人間があまりに多い。

当時はマイク持って罵倒したり身内で輪になってるだけで、外向きに音楽やってるとも言えない奴ばかり。
こっちはヒップホップをやってるんじゃなく、音楽をやってる。あの類の要素を取り入れてるに過ぎない。
こんな曲作ってほしいと答えていたら、自分らしい曲調を入れたいのに歌いやすいアレンジばかり要求される。
自分の個性を殺してまで単調なものばかりで、相互意思疎通なんてできていない。
この程度のものなら金出せないと平気で口走るバカも居たり、曲を渡してもライブでちゃんと歌ってくれない。
だからいつまで経っても自分の楽曲が他人任せに広がるわけではない。お前の口約束で話したところで何にも影響を与えられていない。

当初は歌い手がステージで使ってくれて広まるなら、無料でも良かった。それで自分の音感が認知されるのなら。
しかし委ねた音源を無視して代用コピートラックでライブをやっていた事実を知り、当人に請求をかけ始めた事件があった。それ以来身内の無料案件は一切断ることにした。

なんで自分に興味のない音楽ごっこのボランティアを引き受け続けねばならんのだ。
やってあげてることに疑問を感じた仲間内はほとんど居なかった。
クルー仲間がそういうこと言わないでとか、ファミリーだから当然とか、若い奴はすぐ感情論に走りやがる。お前ら金ないだけだろ。
自分で操作覚えれば済む話なのに。誰でも覚えられることをやってるだけ。なのに知ろうもせず人任せにする。

気安く答える自分が重症だったわけだが。

いつの間にか手伝い優先がストレスになり、案件を全部断っていった。自己評価も低いままで、正当な対価を請求すらできなくなっていた。
自分の作品制作を後回しにしてきた。いつもそう。

本来なら、自分でライブをしようと目論んでた。
テクノハウス系もヒップホップ系も、どちらでも対応できるようなビートメイカーとして機材を並べたライブを検討したことがある。
パソコンから鳴るシーケンスでは、生演奏感を出すのに苦労した。何度かやってみたことはあるが、カラオケ音源でしかない。自分で歌うとなると特に、音色を聴かせるライブとはかけ離れた結果でしかなかった。
もっとイメージとしてはうまくできたはずだが、演奏練習の問題というより音色データのプログラミングしか準備することがなかった。DJみたいに音色ループパターンを並べ替えて、その場で機械のつまみを回してエフェクトを掛けるだけ。生き物のような音楽からはかけ離れたものだ。
いつの間にか他人軸に合わせた音楽しか手がけてなくて、自分ごとを疎かにした結果、本当にやりたかった音楽を完全に見失ってしまっていた。

いざ自分の音楽をやろうとしても、好きな音楽がなにか分からない。他人のサポートに軸足を置こうとしていたこともあったが、自分で予定を決められなかったり他人都合で演奏できなかったり、挙句の果てには演奏しないでいいから一人で歌わせろと言われた。
嫌と言われれば断ればいい話なのに、それに反論できない自分が居た。ついには本番でパソコンから音色が鳴らなくなり、演奏する自信も無くなり、自暴自棄になり大混乱を引き起こすことになった。

事故案件のうち1曲。披露されることもなかった。

そして音楽を辞めると宣言。
楽器や機材は全て処分し、二度と案件は受けないと心に決めた。
ミュージシャンは名乗らない。こんな肩書きは恥だ。かっこ悪い。まるで音楽の名を偽った産業廃棄物じゃないか。

最後に弾いていたエレキギターも、10年以上手にしていたエレキベースも、いつか作曲やライブで使うつもりだったシンセサイザーも、二束三文で手放した。買取金額の低さには愕然とした。
なぜ今までこんなに評価の低い安物の中古品で我慢して使い続けていたのか、限界環境をずっと我慢していた自分の心はすり減らしていた。
またやるだろうと思ってる奴ふざけんなと。音楽嫌いだから二度と関わらない。

ただ絶対別の形で見返してやるからなと決めていた。

そして音楽以外の表現方法を探っていたが、そう簡単には見つからない。正しい自分自身を知ってもらうことができない。
仕事も軌道に乗らず、怒りの感情ばかりが湧き起こる。
人の好意を平気で踏みにじり追い詰めてきたバカ共がうじゃうじゃ居る大阪には二度と住むことはない。
しかし東京で何を目標とすればいいかもさっぱり分からない。いつ死んでもおかしくない状況が2年3年続いていて、もう心身疲労は限界どころか、言葉に表す気もしない。

ゴールデンウィークにかけて、楽器機材を全部売り捌いた。
仕事にできるかもしれなかった商売道具を手放すのには、どれだけ心の折れる過程だったか。何度も暴れ倒したくなった。奴隷的に追い詰めてきた奴等の顔を思い出す度に、火をつけて蹴飛ばしたかった。
ただ、過去には戻れない。
そこで物質的に手離すことで身軽になれた感覚があった。これまでの延長線上で関わる必要が全くなくなった。従来の表現手段の機材一式が全て無くなり、肩書きも無くなって要望が来ても答えられない状況が実現した。

途中で何度も、再びやりたい音楽は見つからないのか考えていたが、本当にやりたいのか疑問のまま進めていたから。
しかし感情の起伏が激しすぎては、冷静に考えられない。少しでも他人に合わせるつもりなのなら、全てやらないと決めた。
ミュージシャン引退を宣言したのは、最初から不当要求を跳ね返すために予防線を張るためでもある。過去に音楽を辞めた時にも、同じようなことが起きてすぐ活動に戻ってしまったことがあったから。

そこで、ふと思いつく。
自分のやりたい音楽は、あった。
心象風景を音色化して、曲を聴けば風景が浮かぶ表現をしたかった。

12年前からその想いはあった。
しかしどこに投げていいのか分からず生活苦で迷走したまま、他人の意見を聞きすぎて見失い全く形にならなかった。
感情を押し殺して、好きと主張することも許されない環境に長い間居たのが災いだった。

1人でやるなら何から始めようかすぐ決められることではなかったが、白紙状態から新規で音楽を楽しむ方法をもう一度探すことにした。
できる人間ができないと思われるのが苦痛なら、できることしかやらなければいい。過去にできていたことなら30年経っても再びできる可能性は十分あるから。

この頃、偶然にもコンサート出演の誘いを受けた。ピアノを弾くという欲求が浮かんできた。
断っても良かったが、せっかくなら自作の曲を自ら演奏すると伝えた。

過去の習慣に縛られないで、本当にやりたかったことだけやる。
自分のためだけに。


(ここまで)

3年前のメモをできるだけ忠実に、追記修正は最低限のみ行いました。
読み手によっては異論や不満を感じたり、言い訳がましく指摘する人も居るかもしれませんが、当時の本音に最も近く冷静に客観視できる記録ではないかと。

本心に嘘つく奴が一番ダサい。以上。

次回 2017年5月21日のメモ『どんな音楽を始めてみたいのか?』

しまひろふみ

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