絵を描けていた自分に再び戻る過程

最後にまともな絵を描いたのは、何年前の話だろう?

スケッチブックには落書きのようなメモをたくさん残していて、
ほとんどは立体作品やジオラマの設計図だったり、当時目指していた電子音楽演奏の機材案などがたくさんある。

いつのまにか描かなくなったものの、決して描けないわけではなかった。

むしろ昔はたくさん描けていた。

ある時から必要とされなくなった事態があり、描くのが無駄と思い込まされて全く関わらなくなった。
当時はパソコンでマウスを使って絵を描いていたこともあるのに、なぜやめてしまったのか。

当時関わっていた連中に頼まれて丁寧に繊細に描こうとしていた絵が、どこかのネットで拾い物の絵のほうが面白いと採用されてしまったのを機に、自分自身の存在すら蔑ろにされた経験があった。14年前。

ほんとくだらないんだけどな。
けどマジで思い出すと今でも殺意を覚える。その後こっちから絶縁を言い渡し、誰一人関わっていない。

そこでもしも当時の連中が、ある人生の危機で助けを求めた時に正しく協力してくれていたら、今頃10年前からイラストレーターやデザイナーとしても大成していたかもしれない。

むしろ音楽なんていうくだらない(と最近まで受け止めていた)寄り道に回り込む必要もなかったかもしれない。

もう絵を描けない現実を受け入れられないなら、他人軸強要し才能を摘むだけの奴は全員消えたらいいのにと思っていた。
けど自分だけは死なないことを選んで今に至る。

何度やめたかわからない音楽家を最後にやめたのは昨年。
その前は4年前にバンドで身勝手なメンバーと決裂して、二度とライブはやらないと宣言。
さらには7年前に住んでた倉庫でDJ知人のカモにされて、追放した上で自分も音楽辞めると大暴れした。

それよりも絵を描くブランクは、音楽以上に長い。

もう自分が過去に描けていた人間なんて忘れかけていた頃だ。

ただ個展欲はずっと持っていた。

音楽を聴かせるのに、ライブハウスやナイトクラブのような喫煙前提で真っ暗闇の閉鎖空間でしかないなんて疑問だらけ。
熱狂だのバカ騒ぎだの青春だの、音楽ってそんなに軽薄なものか?

そうではなく優しい光の差す明るい空間が似合う音楽を、別にマニアでもなく日常で楽しめる人達とともにゆっくり聴いていられたら、魂としては居心地よいのではないか?

そこで自ら手がけた絵画や造形作品に囲まれて、気まぐれで小音量で演奏できるような個展形式の音楽展示に可能性を見出していた。

しかし何年もの間、身近に協力者なんてなかなか現れなかった。
それに自分が何一つ作品の完成まで至れていなかったから。
周囲との関係優先で、誰のために生きてるのかわからない日々が長かった。

簡単に抜け出せたらこんなに苦労はしていない。
思い通りの自己表現ができないまま、長年相当なストレスを抱えていたんだなと痛感する。

今は誰かに認めてもらおうとか、これ売って稼ごうとか、そういうのは全く抜きに作りたいものを作りたくなった。

目的を挙げるなら魂を癒すためであり、埋もれている感情を解放するため。
そして同じような色彩感性の豊かすぎる人達に働きかけて、人と人をつなげるきっかけを生み出したいんだ。

なんかよくわからないけど、やり始めてる状態になってる。

別に綺麗づくめたものだけでなく、粗く尖ってるけど可愛げのある色彩も描きたいと考えている。

先日大阪に戻った時に、絵を描く道具一式を持ち帰ってきた。
おそらく無意識に自分らしい表現手段を求めていたからなんだろう。

以前の音楽以上に打ち込めるものを今も探しているが、もしかするとこの先見つかる可能性がある。
その次の道を開く鍵を見つけたら、これから心から穏やかに過ごせる毎日を取り戻せるんじゃないか。

これは多くの人々を救うかもしれない壮大な実験みたいなものだ。

 

しまひろふみ

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